パパがタバコを買いに出かけた帰り道で財布をなくしてしまいました。落ち込むパパをなんとかして助けてあげようと、ドラえもんが取り出したひみつ道具が“おくれカメラ”です。
ドラえもんのおくれカメラは、過去を写すカメラです。
どれだけ過去に遡(さかのぼ)るかをレンズの周りのダイヤルで指定してシャッターを切ると、その時間の映像を撮影した写真がすぐさま側部から出てきます。
10分単位で最大9時間50分前(1)の過去まで時間を指定できることが、ダイヤルをアップで描いた原作の絵から見て取れます。
撮影可能枚数は不明。ここでは無制限だと仮定します。
(1)目盛りの「0」が示す時刻が「現在」でないなら10時間前。
貴重なシャッターチャンスを逃しても、おくれカメラなら間に合います。
10時間弱も猶予があるから、SNSやニュースで情報を得てから現場に向かったって、決定的瞬間をカメラに収められるでしょう。
ただし撮れたはずのない写真で、しかもRAWデータもネガフィルムもないなんて、「疑惑の一枚」と言わざるを得ません。スクープとしてメディアに提供するのは無謀です。
真実を見ることができる、という力は人を蠱惑(こわく)するだけに、思慮深さが求められます。
おくれカメラの「L判サイズのインスタントカメラ」というレトロなスタイルは、記者や刑事のまねごとより、私的な記録に向いています。
おくれカメラはただ過去を写し出すだけ。過去に介入しないので、タイムパラドックスが起こる心配はありません。
危険があるとしたら、無闇に真実を暴いたせいで、報復を招くことでしょう。
公衆トイレやホテルといった、不特定多数の人がいたってプライベートな姿をさらす空間をおくれカメラで撮影することは、下劣極まりない行いです。
ちなみに、こと「時間を越えた盗撮」に関しては“タイムテレビ”が究極です。タイムテレビなら現場に足を運ぶことなく所構わず映せる上に、時間制限もないし、しかも動画です。
ともあれ盗撮は犯罪です。時間を越えた犯罪を規定する現行法がないからといって、許されることにはなりません。
おくれカメラは1枚撮影するたびに必ず写真をプリントアウトします。近くに知人がいたら、「今の写真見せて」とまず言われるでしょう。
知人の目を避けるのは当然として、慎重を期するなら、誰にも見られないように撮影するべきです。
そして秘匿性をおびやかす一番の敵は自己顕示欲です。決定的瞬間を捉えた写真が撮れたら、それを公開したくなるのが人の性(さが)です。
公開した写真が注目を集めれば集めるほど、「撮れたはずのない一枚」だとバレるリスクが高まるでしょう。
おくれカメラが写せる過去の時刻は最大でも10時間前です。歴史をひも解いたり、恐竜の生態を調査したり、といったロマンのある目的を果たすには足りません。
過去10時間の写真から知り得るもっとも重大なことは、事件や事故に関する情報でしょう。その期限に現場へ着ければ、たちどころに真実を明らかにできます。
ただし捜査にフル活用するには捜査機関におくれカメラを提供しなくてはなりません。
おくれカメラは紛れもなくタイムマシンの一種です。仕組みが解明できれば世界をひっくり返せるほどのオーバーテクノロジーです。
そんなものが世に知られたら、あらゆる組織が躍起になって手に入れようとするでしょう。
事件の速やかな解決に役立って平和になることを夢見て提供したのに、人類が争う新たな火種になってしまった。なんて事態を招くかもしれません。
日常に起こるささやかな事件――冷蔵庫に入れておいたプリンがなくなってる! とか――の解決ならお手のもの。過去を写す効力はいろんなことに役立ちます。
その「いろんなこと」には、ろくでもないことも含まれている危うさもあります。
なんにせよ同じ目的に使うならタイムテレビのほうがはるかに利便性が高いから、写真を撮るというスタイルに特別なこだわりでもない限り、あえてこちらを選ぶ理由はないでしょう。
というわけで、もしもドラえもんのひみつ道具を一つもらえるなら、おくれカメラの優先度は星
つです。