いつも家でごろごろして漫画を読んでばかりいるのび太に、外へ遊びに出ることをドラえもんは勧めました。
けれどのび太は出かけたってなにも起こらないと言って聞きません。そこでドラえもんが取り出したひみつ道具が“オーバーオーバー”です。
ドラえもんのオーバーオーバーは、あらゆる出来事がオーバー(大げさ)に感じられるオーバー(外套)です。
このオーバーを着ると、身の回りのささいなことが、とてもドラマチックに変換されて目に映り、耳に聞こえます。
ママは鬼ババに、ダンプカーは恐竜に、原っぱはジャングルに、落ちていた10円玉は分厚い札束に、といった具合です。
いつもの一日が今日も始まる。明日もきっと今日と変わらない――。
毎日が代り映えしないのは平和な証拠です。でもやっぱり刺激は欲しい。そこでオーバーオーバーです。平穏な日常を壊さずに、映画みたいにドラマチックな状況を味わえます。
見え方が変わるだけじゃ意味がない? いやいや大丈夫。ホラー映画はすべてが作りものだと誰もが知っているのに、それでも観客に恐怖心を与えます。
視覚体験は強烈です。画面越しではなく、脳に直接作用するオーバーオーバーで受ける刺激は映画の比ではないでしょう。
欠点はオーバーコートなこと。季節外れに着て出歩くのは暑いし、変な人だと思われます。
とはいえマリンスポーツとかウィンタースポーツとか、レジャーは結構季節を選びます。オーバーオーバーが寒い時期限定なのは大した問題ではないでしょう。
オーバーオーバーに視覚と聴覚を完全にジャックされた状態は危うさを伴います。
現実よりオーバーになるので身に起こる事態を過小評価してしまう恐れはないけれど、実情に即さないリアクションをとることになります。場合によっては面倒なことになりかねません。
ただしオーバーオーバーによる改変はあくまでオーバーにするだけです。実際の様子はある程度見当がつきます。のび太と一緒にこれを着て近所を探索したしずかちゃんは、幻影の正体をことごとく見抜きました。
一定の注意力を保っていれば、まったく想定外の事態を招くことはないでしょう。
オーバーオーバーの作り出す状況を楽しめるのは、それが幻影だと知ってこそ。なにも知らずに現実だと信じたら、常人には対処できません。
いっさい説明しないでオーバーオーバーを人に着せれば、まず間違いなくパニックに追い込めるでしょう。
「ドッキリでした!」じゃ済ませられません。トラウマ(心的外傷)になるかもしれない、悪質な仕打ちです。
ところで原作では、のび太の前でしずかちゃんがいきなり服を脱ぎ始めてシュミーズ姿になりました。いったいどういうことかというと、実際には上着を脱いだだけだったのです。
ちょっとエッチな方面でオーバーになることもあるわけです。不可抗力ならともかく、そういった状況を狙いにいくのは品性を疑います。
オーバーオーバーが幻影を見せる対象者は着ている人だけです。ほかの人がその効力を知る由はありません。
ただし物事がオーバーに見えれば、必然的にリアクションもオーバーになります。悪目立ちして、周りの人から「おかしなやつだな」と思われるでしょう。
世界が変わって見えても、世界は変わりません。
いくらVR(バーチャル・リアリティ)が急速に進歩しているとはいえ、VRヘッドセットから解放されるのはまだずっと先の話です。
画面を介さず、脳に直接コネクトするオーバーオーバーで得られる臨場感は、既存のVR機器とはまさしく次元が違います。
その反面オーバーオーバーにはゲーム性もストーリーもありません。状況を場当たり的にオーバーに変換するだけです。そこが評価の分かれ目でしょう。
というわけで、もしもドラえもんのひみつ道具を一つもらえるなら、オーバーオーバーの優先度は星
つです。