いうまでもなく、ドラえもんはひみつ道具ではありません。なのに「もしもひみつ道具を一つだけもらえるとしたら、なにが欲しい?」という質問に「ドラえもん!」と答える人は少なからずいます。
そう答えたくなる気持ちはわかるけれど、そんなに気軽にドラえもんをお迎えして、はたして良いのでしょうか。
ドラえもんは22世紀のネコ型ロボットです。ネコなのに耳がないのは、ネズミにかじり取られてしまったから。ずんぐりむっくりした体形で二足歩行なことも相まって、ほとんどネコには見えません。
豊かな感情をもっていて、自分で考えて行動する自律型です。現代の科学では「心」や「魂」と呼ばれる存在を証明できません。しかしドラえもんと触れ合ったなら、誰もがそこに心を感じ取ることでしょう。
温厚な性格の一方、ときに冷めた一面を見せることもあります。
雄なので、雌ネコにときめいたりもします。寒さに弱いなど、ネコとの共通項は多いけれど、ネズミは前述の理由から大の苦手です。
動物のように食べ物を摂取してエネルギーに変換します。食性はネコではなく人間と同じで、 どら焼きが好物です。ちなみに連載初期は餅が好物でした。
誕生日 | 2112年9月3日 |
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身長 | 129.3cm |
体重 | 129.3kg |
スリーサイズ | すべて129.3cm |
出力 | 129.3馬力 |
「ひみつ道具」とは、ドラえもんが持っている未来の道具のことです。当然「ひみつ道具を一つもらえるとしたら」の選択肢にドラえもん自身は含まれないけれど、余興として本稿で取り上げます。
「一つ」という条件なので、ドラえもんは身一つです。ひみつ道具は一つたりとも持っていません。“タイムマシン”も、標準オプションの“四次元ポケット”も例外ではありません。
ひみつ道具を持っていないドラえもんに用はない? いやいや、そんなことはありません。なんてったってドラえもんです。
一緒にいたずらをする悪友でありつつも、度を超すと叱ってくれる保護者でもある。そんな二面性を兼ね備えた懐の深さに、きっとほれてしまうと思います。生涯の友として、掛け替えのない存在になるでしょう。
『ドラえもん』は、いわば野比のび太とドラえもんのバディもの。多くの人々を魅了してきた吸引力の源は、多分、二人の固い友情にあるのだから。
ただしドラえもんの食事や住まいといった生活の面倒をどうするかは要相談です。同居が前提というのがかなり高いハードルです。
温厚なドラえもんの唯一といっていい危険性は、ネズミを見るとパニックに陥って、なにをしでかすか分からないことです。“地球破壊爆弾”なんて物騒なものを持ち出したことがあるくらい!
でも、ひみつ道具を一つも持ってないなら、ドタバタと騒がしくなるだけで、これといった危険性は考えられません。
ドラえもんは、なんだかんだで道徳心が強いので、悪用することはできないでしょう。ひみつ道具がなければ、できることも限られています。
一人暮らしなら、ドラえもんに家から一歩も出ないようにお願いすれば、世の中に存在を知られてしまうこともありません。引っ越しの際も、しっぽのスイッチを切って段ボールに入れれば問題ありません。
家族などの同居人がいるなら、隠し通せはしないでしょう。遅かれ早かれ、世の中に知れ渡ってしまう結末が待っているように思えます。
なんであれ、自我のあるドラえもんを軟禁状態にするなんて問題外です。
ドラえもんには魂が宿っているとしか思えません。
意識とは、心とは、そして命とはなにか。
「命ある機械」との邂逅(かいこう)は、人類を次なるステップへ進める契機になるやもしれません。
ドラえもんを自宅で軟禁状態で暮らさせるのはかわいそう。だからといって公にすると、今度は「命ある機械」という存在を受け入れたくない人たちからの反発が懸念されます。
ドラえもんが幸せに暮らせる社会が実現するのは、もう少し未来のことでしょう。
というわけで、もしもひみつ道具を一つもらえるなら、ドラえもんの優先度は星
つ。やっぱり素直にひみつ道具から選びましょう。なにかとひみつ道具でのび太をサポートしているドラえもんだけど、生来のスタンスは「困難は自力で克服するべき」なのは原作漫画から見て取れます。そしてその物語のお約束は「ひみつ道具に頼りすぎると痛い目を見る」です。
漫画『ドラえもん』、ひいては藤子・F・不二雄先生が軽薄な物質主義と相反するのは原作をきちんと読んだ人なら知っていることでしょう。定期的に目にする「問題を場当たり的に解決している」という趣旨の批判は的外れです。
傑作エピソードとして名高い「さようなら、ドラえもん」でのび太が見せた「自力で困難に打ち勝つ」という気概こそが『ドラえもん』の本懐だと思います。