のろまなのび太はなにをやっても遅れてばかり。みんなからそれをとがめられて、のび太は号泣しました。
そこでドラえもんは、のび太がみんなより遅れないようにするために、ひみつ道具の“タンマウオッチ”を取り出したのです。
ドラえもんのタンマウオッチは、時間を止める懐中時計です。
これのボタンを押すと、自分とそのときに触れていたもの以外のすべての時間が止まります。ボタンをもう一度押すと、時間が再び動き始めます。
自分以外すべての時間が止まるとなにが起こるのか。考えれば考えただけ疑問がわきます。
人間の視覚は光を像にしています。光が動かなくなれば眼に入らなくなって、なにも見えなくなるではないでしょうか。
時間の止まった世界では、物体の動きが停止するだけではなく、あらゆる物理現象も停止するはずです。重力や熱もなくなるではないでしょうか。
時間が止まれば、物体の運動も止まる。裏返せば、時間の止まった世界では、物体をいっさい動かせないのではないでしょうか。
つまり、「時間を止めた瞬間、目の前が真っ暗になって、石のように固まった大気に包まれて指先ひとつ動かせないまま窒息死する」と考えられます。
けれどタンマウオッチで時間を止めてもそうはなりません。目は見えるし、重力も熱もあるし、呼吸もできるし、物も動かせます。
いかにも漫画的な「あらゆる面で都合のいい時間停止」を実現する超越的なひみつ道具。それがこのタンマウオッチです。
あなたがタンマウオッチのボタンを押したその瞬間、同じ時間軸にある宇宙の中で、行動できる唯一の存在になります。何者にも邪魔されない世界で、さあ、なにをする?
いろいろ夢が広がります。「やれること」を考えるときりがないので、まずは「やれないこと」を明確にしましょう。
「時間を忘れて好きなだけゲームで遊びたい」とします。タンマウオッチを使う際に手に持っておいたスマホは動作します。でも、通信やサーバーや配電は停止するから、オンラインゲームは遊べないし、充電もできません。
この「ネットと電気が止まる」という制約が痛い。ゲームに限らず、やれることがぐんと減ります。
交通機関も使えなくなります。時間の動く車を用意しても、肝心の道路がほかの車で埋まっていて走れません。長距離移動するなら、車両の隙間をすり抜けられるバイクが必須です。
なんだか広がった夢がしぼんでいきます。
ところで、あなたが最初に想像した「時間の止まった世界でやりたいこと」って、もしかしたら「本当はやってはいけないこと」だったりしませんか?
そう、誰にも知られずに行動できるようになるタンマウオッチは、「やってはいけないこと」を目的にしてこそ本領を発揮するひみつ道具なのです。
世界の時間が止まっていようと、自分の時間が進んでいるからには、その肉体は刻々と老いていきます。
タンマウオッチを使っても、与えられた命の長さは変わりません。そして通常の時間軸に生きる人からしてみれば、タンマウオッチの使用者は早く老いたように見えます。
「悠久の時を過ごせる」と錯覚すると、痛い目を見ます。「若く見られたい」という願望があるなら、なおのこと使い過ぎに注意しましょう。
タンマウオッチで時間を止めた世界。それは、誰にも知られない、誰にも制止されない世界です。
どこに侵入するのも、なにを盗むのも、誰を殺すのも思いのまま。もしもサイコキラーの手にタンマウオッチが渡ったら、何千何万と惨殺が繰り返されるでしょう。
そんな異常者は、あえて痕跡を残して自分の存在をアピールするかもしれません。最凶最悪の怪人「タンマウォッチャー」の誕生です。
時間を止めているあいだの行動が第三者に観測されることは絶対にありません。だからといって気は抜けません。時間を止めた瞬間の前後に生じた差異は観測できるからです。
人目や防犯カメラの前で時間を停止・再開すれば「突如として消えた・現れた人」という形で映ります。スマホの位置情報をオンにしていれば「瞬時に移動した端末」として記録に残ります。
タンマウオッチを使う際は人目を避けるだけではなく、防犯カメラとスマホの位置情報にも注意しましょう。
タンマウオッチの力を暴力的に使って有力者たちを恐怖で支配すれば、たった一人でも革命を起こせるでしょう。
ただしそんな恐怖政治は抵抗勢力を生みます。
たとえタンマウオッチが人知を超えたものだとしても、その力をふるうのが人である以上、どこかに隙ができます。正体を突き止められないとは限りません。
バレたが最後、タンマウォッチャーは秘密裏に抹殺されて、タンマウオッチは封印されて終わり――ではなく、それから本当の悪夢が始まるかもしれません。
タンマウオッチを夢想家が独り占めするのと、国家が所有するのと、どちらがより未来に暗雲が垂れ込めるでしょうか。
タンマウオッチを手にしてもなお、体感できる人生の長さは変わりません。「自分以外の時間を止める」という力を存分に活かすためには、若返りを実現するひみつ道具も必要です。
けれど「ひみつ道具を一つだけもらえる」という条件だから、それらは手に入りません。なにか明確な意図をもってないと、タンマウオッチをもらっても持て余す羽目になるでしょう。
これは「ろくでもないことか、とんでもないことを成すためにある」といっても過言ではありません。なんと蠱惑的(こわくてき)なことか!
というわけで、もしもドラえもんのひみつ道具を一つもらえるなら、タンマウオッチの優先度は星
つです。この記事の「ゆっくり解説」版