のび太のママとパパが大ゲンカしています。もしかしたら離婚するかもしれない、と心配になったのび太は、ドラえもんに相談しました。
そこでドラえもんが取り出したひみつ道具が“平和アンテナ”です。
ドラえもんの平和アンテナは、どんな争いもピタリと止めるアンテナです。
なにか争っている人や動物に、これのボタンを押すと出る「平和電波」を浴びせると、争うことに興味がなくなって、たちどころに和解します。
生放送の特撮テレビ番組を観ているのび太が手に力が入って思わず平和アンテナのボタンを押したところ、ヒーローと怪人が仲良くなりました。
のび太は東京の練馬区に住んでいます(1)。東京近郊のテレビスタジオからの放送だったとして、平和電波の有効距離は20kmほどはあると推定されます。
また、のび太が平和アンテナを使ったあとも近所に争いごとが残っていたことから、有効距離内の争いを一度にすべて止めるのではなく、使用者の意図した対象にだけ作用するとも推定されます。
(1)てんとう虫コミックス『ドラえもん』第15巻に収録された「不幸の手紙同好会」の作中で、スネ夫家の住所が「東京都練馬区月見台すすきヶ原3-10-5」だと明記されています。「月見台」以降は架空の住所です。
平和アンテナでかたっばしから争いを止めてまわれば、世の中が平和に――なんていうほど物事は単純ではありません。
平和アンテナがもたらすのは「無条件の和解」です。被害者と加害者に分かれる争いだったなら、被害者が無条件で加害者を許すことになります。
確かに「罪を憎んで人を憎まず」という理念は大層立派だけど、「許さない自由」だって認められてしかるべきです。加害者が謝って、被害者が許す。それがいつも救済になるとは限らないでしょう。
どちらが被害者というわけでもない対等な争いだと、今度はそれを止める根拠が曖昧になります。対等な争いは競争です。競争のない社会は停滞し、ひいては腐敗します。
いっそ「平和」というお題目は忘れて、学生ならクラスの、社会人なら職場の小競り合いを収めることで、「スムーズな人間関係」を目指すくらいがいい塩梅かもしれません。
争いを止めれば、その場の危険は去ります。
ただし「無条件で和解した」という決着は、非があるほうにしてみれば「やり得だった」ことにほかなりません。その成功体験から、また同じ争いを繰り返すようになるおそれがあります。
どんな争いでも無条件で和解させられる。それってなにげに恐ろしい効力です。
どれだけひどいことをしたって、被害者と和解すれば、被害届を出されずに済みます。非親告罪で刑事事件になっても、被害者との全面和解が考慮されて、起訴猶予や執行猶予で実刑を免れるかもしれません。
邪悪な人や集団の手に平和アンテナが渡ったなら、平和ではなく混乱を招くことでしょう。
「電波で人の心を操る」だなんて、ドラえもんの生まれた22世紀では「科学」でも、我々の暮らすこの現代では「オカルト」です。
オカルトは妄想や狂言として片づけられます。平和アンテナを使っても、多くの人はその存在に気づこうともしないでしょう。
社会を変えてしまうほどの大規模な争い、すなわち戦争を平和アンテナで止められたなら、それこそ平和が訪れます。
ただし作中で見られる平和アンテナの使用例は、面と向かって争っている者を鎮めたケースに限られます。首謀者同士が面と向かうことのない戦争をじかに止めることはできないと推量されます。
直接交戦している最前線の戦闘を止められたとしても、大陸間弾道ミサイルや無人攻撃機による攻撃を止められないのでは、根本的な解決にはなりません。
サイバー戦やドローン戦などの台頭で戦争は様変わりしました。それを終戦に導くには、平和アンテナでは力不足です。
のび太は平和アンテナを使うことをドラえもんに反対されて、こう言い返しました。
みにくいあらそいをなくして、平和な世の中にするのが、悪いってのか!?
てんとう虫コミックス『ドラえもん』第25巻「平和アンテナ」より
そりゃもちろん悪いわけがありません。でも、なにをもってして「醜い」と判断するのでしょう。善悪にも美醜にもグラデーションがあって、明確な線引きはできません。
独善に基づく調停を繰り返して、果たして平和な世の中を実現できるのか。そこになんの疑問も覚えずに平和アンテナを使うのは恐ろしいことです。
というわけで、もしもドラえもんのひみつ道具を一つもらえるなら、平和アンテナの優先度は星
つです。