短足のドラえもんが以前からひそかに夢見ていた願望。それはスラリと長い脚で駆け回ることでした。
そんな夢をかなえたひみつ道具が“人体とりかえ機”です。
ドラえもんの人体とりかえ機は、人と身体の部位を取り換える機械です。
左右のカプセルに一人ずつ入って、人体を模した操作パネルのボタンを押すと、対応する部位が入れ換わります。
選択できる部位は、頭・腕・胴体・脚の4か所。腕と脚は左右どちらのボタンを押しても、左右一組みで入れ換わると推測されます(1)。
操作パネルは本体中央にだけ設置されているため、第三者がいない場合は、カプセルの小窓から棒などを伸ばして操作しなければなりません。
なおドラえもんが体を交換できたのは「人間同様の存在といえる特別なロボットだから」と判断して、現代のロボットは交換できないと仮定します。
(1)てんとう虫コミックス『ドラえもん』第11巻「からだの部品とりかえっこ」の作中における描写より。
まず大前提として、お互いが納得するウィンウィンの交換でなければ有用とはいえません。なにせ人体の部位だから、そんな交換はとても限られるでしょう。
例えば性別違和(性同一性障害)の男女が体を入れ換えるにしても話はそう簡単ではありません。その体がもつ潜在的な疾患をも引き受けなければならないからです。
もしも交換後にガンを発症したら? 交換相手がかかるはずだった疾患をはたして受け入れることができるでしょうか。
そもそも「人体交換」は現代では荒唐無稽で正気とは思えない話です。まともに取り合ってくれる人すらいないでしょう。
ドラえもんから人体とりかえ機をもらっても、交換相手が見つからずに、ほこりをかぶって仕舞いになるだけかもしれません。
困難を乗り越えて、なんとか交換相手を見つけたとします。
交換を希望する部位に相手が疾患を抱えていても、それを正直に打ち明けてくれるとは限りません。現代の医学では治せない疾患ならなおさらです。
これ幸いと移植目的に利用されてしまう恐れがあります。
そういった隠し事のない交換でも、「なんかしっくりこない」と後悔することだってあるでしょう。だからといって相手が体をすんなり戻してくれると思ったら大間違いです。
「なにがあっても絶対に後悔しない」という確固たる決意がなければ、人体とりかえ機を使ってはなりません。
ちなみに拒絶反応を起こすリスクは未来の科学力によって完璧に回避されています。
体の部位を納得ずくで取り換えてくれる人を探すのは難しい。でも自分の希望する条件に見合った体の人を探すだけなら簡単です。
相手の承諾を得ずに人体とりかえ機を使うのは、悪質極まりない所業です。
老人が年老いた体を、病人が不治の病に侵された体を、健康な若者に無理やり押しつけて、自分はその肉体を手に入れる。そんな悪魔のような使用方法がある、恐ろしいひみつ道具です。
人体とりかえ機は、最低でも一人には存在を明かさなければ使えません。その相手が秘密を守り続けられるかという不安が残ります。
臓器移植が確立した現代でも、腕や脚の移植は夢物語です。それを人体とりかえ機は実現します。
亡くなられたドナーとの交換という形で、病気や事故で失った四肢を回復させられるのです。
しかしながら、時を越えて未来からもたらされた機械を公に、しかも医療に使用するとなると、法整備から始めなくてはならないでしょう。
ほかにも安全性の証拠(エビデンス)を得る必要も生じます。越えなくてはならない壁が立ちはだかります。
若返りに使えるのも大きな問題です。あらん限りの金と権力を振りかざして、若い肉体を得ようとする欲にまみれた権力者がわんさか現れるでしょう。
世界に一台しかない人体とりかえ機を公明正大に運用できるほど成熟した社会を人類がまだ築けていないことは歴然としています。
ドラえもんたちは人体とりかえ機のほかにも“つけかえ手ぶくろ”を使ったりして、割とカジュアルに人体を改造します。
でも大抵の人は感情的な抵抗感が強くて、二の足を踏むはずです。倫理観だって問われます。
そういった感情や倫理といったデリケートな問題だけではなく、単純明快な問題も人体とりかえ機は抱えています。それはとてつもないデカさです。
人が直立状態で入れるカプセルが2つも据え付けられている人体とりかえ機は家庭用とは思えません。住居の間取りによっては、ドラえもんにもらったが最後、部屋から搬出できないでしょう。
さまざまな意味で一個人の手には負えないというわけで、もしもドラえもんのひみつ道具を一つもらえるなら、人体とりかえ機の優先度は星
つです。