チビなのがコンプレックスのスネ夫は、おとぎ話の『一寸法師』のように「打ち出の小槌(こづち)」を使えば自分も背が高くなれると考えつきました。さっそくドラえもんに打ち出の小槌をねだったけれど、断られてしまいます。
のび太はこの話を聞いて、いくらドラえもんでも打ち出の小槌を持っているわけがないだろうとスネ夫を馬鹿にしました。ところがドラえもんは持っていると言うのです! それがひみつ道具の“うちでの小づち”です。
ドラえもんのうちでの小づちは、『一寸法師』などのおとぎ話に登場する、振ると望みがかなうという伝説の宝物を模したひみつ道具です。
動く絵本『一寸法師』
願いを言いながらこれを一振りすると、まず願いとは異なる出来事が起こって、その結果望みがかないます。このワンクッション入るのがおとぎ話とは異なる点です。
例えば原作エピソードでドラえもんがどら焼きを願ったときは、引っ越しを手伝う羽目になって、その結果お礼としてどら焼きをごちそうされました。
のび太が1000円の小遣いをを願うと、今度は貸していた切手アルバムをなくされて、弁償として1000円を受け取りました。
ちなみに引っ越しは重い家具の搬入も含む重労働で、切手アルバムは1000円以上の価値があるものでした。
前項で紹介した使用例からわかるとおり、うちでの小づちで望みをかなえるには、相応以上の犠牲を払うことになります。得するどころか、むしろ損する始末です。
それなら素直に自力で望みをかなえたほうがマシというもの。うちでの小づちに有用性は期待できません。
のび太はうちでの小づちに1000円を願ったばかりに大切な切手アルバムをなくされました。もっと多額を願っていたら、おそらくは保険金や賠償金といった形で金銭を受け取ることになったでしょう。いったいどんな悲劇が起こっていたか……。
どんな些細なことでも、うちでの小づちには願わないほうが身のためです。
「ねえ、1億円欲しいって言いながらこれ振ってみて」
1億円相当の犠牲とは、はたしてどのようなものでしょう。日本人の平均生涯賃金はおよそ2億5000万円といわれています。つまり人生の半分近くを棒に振るような犠牲となるはずです。
たとえ1億円(もしくはそれ以上の金額)が手に入ったとしても、人生が破滅したら元も子もありません。うちでの小づちは人を破滅に追いやれる、世にも恐ろしい呪いのアイテムです。
うちでの小づちを自分で使った場合は、ほかの人が知る由もありません。
人に使わせた場合は、願いを口にさせるわけだから、うちでの小づちとその効力が招いた結果との因果関係に誰もが気づくでしょう。
あくまで間接的でしかない効力は証明するのが困難極まりないとはいえ、秘匿するためには私的使用にとどめるべきです。
犠牲さえいとわなければ、うちでの小づちでなんでも望みどおりにできます。しかし世界が変わるより先に、自分の身が破滅するでしょう。
個人で背負える犠牲を超えた願いをしたらどうなるのか。デメリットが生じないケースもあり得るのか。不確定要素を多分にはらんでいるうちでの小づちを使うのは、きわめて危険なギャンブルです。
すくなくとも原作エピソードで使用したときは、メリットを上回るデメリットが毎回生じました。これだけでも選択肢から除外する理由として十分でしょう。
というわけで、もしもドラえもんのひみつ道具を一つもらえるなら、うちでの小づちの優先度は星
つです。