のび太がジャイアンとスネ夫と一緒にテレビで催眠術の番組を観ていると、いつものように感化されたジャイアンが自分も催眠術をかけたいと言い出しました。
見よう見まねの催眠術がかかるはずもありません。けれど腰巾着のスネ夫はかかったふりをして、ジャイアンを喜ばせます。
それをつい馬鹿にしたのび太は、ジャイアンの怒りを買ってしまって、ほうほうのていで家に逃げ帰りました。その話を聞いたドラえもんが取り出したひみつ道具が“さいみんグラス”です。
ドラえもんのさいみんグラスは、催眠術をかけられるようになるメガネです。
これをかけて人になにかを言い聞かせると、相手はその言葉を額面どおりに信じ込みます。
その催眠は強烈です。「腕が重くなる」と言われたのび太は腕の重さで倒れ込み、「お前はイヌだ」と言われたジャイアンは四つんばいで片足を上げて電柱にオシッコをかけました。
鏡に映った自分に語りかけることで自己催眠もかけられます。これらの催眠状態は数分から数時間で自然に解けます。
言葉でかける催眠のため、相手に声が届かないと効果は生じません。ジャイアンは耳栓をすることで催眠を防ぎました。
バラエティ番組でタレント相手にかけているような面白おかしいものだけが催眠術ではありません。
例えばトップアスリートが実践するルーティンも自己催眠の一種です。能力を最大限に発揮するためのセルフコントロール術として用いられています。
緊張や不安を解きほぐして、邪念を取り払い集中力を高める。さいみんグラスの催眠を活用すれば、さまざまな場面でベストを尽くせます。
禁酒・禁煙・ダイエットを継続する後押しにもなるでしょう。
惜しむらくは、さいみんグラスによる催眠状態がどれだけ持続するか不確定なこと。そして間の抜けたデザインのメガネをかけなければならないことです。
それでも、ここぞというときに最初の一歩を強い確信のもと踏み出せる強みは、捨てがたい魅力です。
さいみんグラスは危うさを覚えるほどの確固たる催眠状態に陥らせます。一定時間で自然に解けるとはいえ、あまり無茶な催眠はかけないほうが身のためでしょう。
受け入れる姿勢のない相手に催眠術をかけるのは困難を極めます。そのため催眠を用いた犯罪の事例は、セラピストによる患者相手の犯行など、限定的です。
しかし、さいみんグラスは相手の警戒心を突破して、催眠を必ず成功させます。相手が正気のときなら絶対に受け入れないようなことでも、言葉一つで強制させられるのです。
これがどれだけ恐ろしいことかは、犯行の具体的な例を挙げるまでもなく想像がつくでしょう。
人の心の痛みがわからない人でなしの手にさいみんグラスが渡る事態はなんとしても避けなければいけません。
バラエティ番組でタレントが催眠術にかかったら、「やらせだろ」という声が決まって上がります。それが演技か本当かを視聴者が見極めるすべはありません。
さいみんグラスの効力も第三者の目には滑稽で嘘くさく見えるでしょう。劇的で強力な催眠だからなおさらです。ふざけたデザインのメガネも拍車をかけます。
まともに信じる人が少なければ、それだけ「ドラえもんから贈られたひみつ道具」という真実にたどり着かれる可能性も低くなります。印象的な効力をもつ割りには、そこそこの秘匿性です。
社会が人の集合体であるからには、人を操ることは、ひいては社会を操ることにつながります。しかしさいみんグラスの短時間で解ける催眠で社会を変えるとなると、膨大な既成事実を延々と積み重ねていかなくてはなりません。
すべての国民を一気に付き従わせる“ポータブル国会”などに比べたら、あまりにも煩わしい。どちらかというと、さいみんグラスは自己実現向けのひみつ道具です。
いつでも心を自分の望む状態にもっていけたなら、余計な心労から解放されたり、ここ一番で実力を十分に発揮できたりと良いことずくめです。
けれどもヨガとか禅とかマインドフルネスとか、どんなセルフコントロール術を用いても、そう簡単に心は制御できません。心は乱れやすく、立て直しがたいものです。
それがさいみんグラスなら、簡単かつ即座に心を整えられます。これは大きい。
問題は他人の心までも自由に操れてしまうこと。あなたが人をむやみに傷つけない善人だとしても、さいみんグラスの存在を知った悪人が奪い去って悪用するかもしれません。取り扱い注意の「危険物」であるのがマイナス点です。
というわけで、もしもドラえもんのひみつ道具を一つもらえるなら、さいみんグラスの優先度は星
つです。