ママからもパパからもドラえもんからも、いつもうるさく注意されて、のび太はとうとう心底うんざりしました。
きみのことを気にかけているから注意するんだ、とドラえもんに諭されても、のび太はもう聞く耳を持ちません。
そこでドラえもんが取り出したひみつ道具が“石ころぼうし”です。
ドラえもんの石ころぼうしは、かぶった人が、道端に落ちている石ころのように誰からも目を留められなくなる帽子です。
ツバのない半球型でスイムキャップ(水泳帽)に似ています。しかし水には弱く、濡れるとすぐにふやけます。小学生ののび太がかぶってもぎちぎちなくらいに小さいサイズです。
石ころぼうしをかぶっても、姿が透明になったりはしません。周囲の人は着用者を五感で捉えることはできます。
それなのに脳がスルーします。見えているはずなのに見えない、聞こえているはずなのに聞こえない。物理的にではなく、「存在」が透明になります。
着用者に体を触られてもそれは変わりません。石ころぼうしをかぶったのび太に体を揺さぶられたドラえもんは、「どうしてひとりでにからだが、ゆれるんだろう」(1)としか思いませんでした。
作中で着用者が手に持っていたバットの存在にも誰一人として気がつかなかったことから、身に着けている物や、手に持っている物にも効果が及ぶことがうかがい知れます。
(1)てんとう虫コミックス『ドラえもん』第4巻「石ころぼうし」より。
人目から解放されたくなることは誰だってあるでしょう。そんな気分のときは大抵疲れているから、都会を離れて小旅行へ出かけるような気力もなかったりします。
でも石ころぼうしがあれば、雑踏だろうがなんだろうが、一人きりになれます。
見慣れた街並みが新鮮に見えるはず。家に引きこもって過ごすより、よっぽど気分転換になるでしょう。
ちなみに石ころぼうしが登場する原作エピソードは、これをかぶったのび太が両親の小言から解放されて喜んだものの、誰にも相手にされない一日を過ごすことで、人から気に掛けてもらえることのありがたさに気がつくという訓話です(2)。
石ころぼうしをかぶってしばらく生活すると、のび太のように人の温かみを再確認して、すこし優しくなれるかもしれません。
(2)ちなみに、これは“どくさいスイッチ”が登場する原作エピソードと同じ筋書です。
石ころぼうしの着用者は「いないもの」として扱われます。これを軽視すると、思わぬ危険な目に遭うでしょう。
例えば階段やエスカレータを使うとき。気を配っていないと後ろから来た人にぶつかられて、転がり落ちてしまうかもしれません。しかもそのケガで動けなくなっても、石ころぼうしを脱ぐまでは誰も助けてはくれません。
腕を骨折するなどして自力で脱げなかったら……。最悪、そのまま野垂れ死にです。
普通に生活していても人や乗り物にぶつかられることがあるのだから、石ころぼうしの着用中はより一層気をつける必要があります。
手に取った物にも効果が及ぶ石ころぼうしの特性は、万引き(窃盗)にうってつけです。どれだけ店員や警備員がいようとも、正面入り口から店舗に入って、商品を手に取り、そのまま堂々と出て行くだけで絶対に捕まりません。
石ころぼうしをかぶれば窃盗だけではなく、さまざまな犯罪行為を容易にします。
ただし透明になれる“かくれマント”などのひみつ道具とは違って、防犯カメラにはばっちり映ります。録画された映像を見た人には石ころぼうしの効果が及ばないと推定されるので、身バレを防ぐ変装は必須です。
温泉やスーパー銭湯の浴室は、その性質上、防犯カメラが設置されていません。より自由に行動できます。体を触っても存在に気づかれないことを踏まえると、石ころぼうしは極悪最低、世にもおぞましいひみつ道具だといえます。
石ころぼうしは存在を秘匿するひみつ道具だから、秘匿性はもちろん抜群です。
カメラなどの撮影機器には映像として残ってしまう点も、ただ映像だけを見る分には普通の人として映っているだけなので問題ありません。
ただし犯罪行為に及んだ場合は話が別です。明確な意図をもって防犯カメラの映像を参照された場合は、見過ごされはしません。
万引きはその場ではバレなくても、在庫数の差異という形で痕跡が残ります。そのほかの犯罪でも同じこと。犯罪の痕跡から防犯カメラの映像を辿られたなら、せっかくの秘匿性も台無しです。
薄っぺらい帽子をかぶるだけで、周囲にいる人たちの認知能力に劇的な齟齬(そご)をもたらすだなんて人知を超越しています。
とはいったものの、脳のメカニズムはまだ解明されていないことばかり。意外と夢物語でもないかもしれません。
そして石ころぼうしと行動力があれば、たった一人でも社会を混乱の渦へ陥れられるでしょう。防犯カメラに映るからには、いつかは捕まります。それでも、なにかを成し遂げるのに十分な時間がとれるはずです。
撮影機器には映るのに、なぜか直接認識することができない「怪人」として、歴史に悪名を残せます。
原作エピソード「石ころぼうし」は、子供心に強烈な印象が残りました。「あれしちゃ駄目、これしちゃ駄目」と親に叱られることから、のび太のように解放されたかったのでしょう。
大人になると今度は「世間の目」に監視されます。それは悪いことばかりではないけれど、たまには自由になりたいときだってあります。
石ころぼうしをかぶれば社会から解放されます。たとえそれがつかの間の自由だとしても魅力的です。
というわけで、もしもドラえもんのひみつ道具を一つもらえるなら、石ころぼうしの優先度は星
つです。ところで、『ドラえもん』の「石ころぼうし」と同じ主題の物語として、古い海外ドラマの『トワイライト・ゾーン』の「無視刑囚」があります。レトロな作品が好きな人なら、そちらも併せて観てみるのもまた一興です。
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