ジャイアンにケンカで負けたのび太が家に逃げ帰ってきました。情けなく思ったドラえもんに「やられたら、やりかえせ」と無茶を言われても、のび太に奮起するようすはありません。
ドラえもんは諦めて、ひみつ道具の“入れかえロープ”をしぶしぶ取り出したのでした。
ドラえもんの入れかえロープは、「入れ替わり」を起こすロープです。これの端を生きものがそれぞれ触ると、「両者が入れ替わった」と誰もが思いこみます。
例えばのび太とジャイアンで入れかえロープを使ったら、のび太は「自分がジャイアン」だと思い込み、ジャイアンは「自分がのび太」だと思い込みます。
二人を見た第三者も「のび太がジャイアン」で「ジャイアンがのび太」だと思い込む点がよくある「入れ替わり」と異なります。
入れ替わった人が、さらにほかの人と入れ替わるリレーも可能です。
上記は第15巻に収録されたエピソード「入れかえロープ」における効力です。
のちの「スネ夫の無敵砲台」(第38巻)と「男女入れかえ物語」(第42巻)に再登場した際は、よくある「入れ替わり」すなわち「肉体の交換」を実現する効力に変更されました。
「肉体の交換」を実現するひみつ道具としては“トッカエ・バー”がすでにあるため、当ブログでは入れかえロープの効力に初登場時における「思い込み」を採用しています。
お互いが入れ替わった気になっているのび太とジャイアンがケンカすると、勝ったのは(ジャイアンになった気でいる)のび太でした。
「たかが思い込み」と侮るなかれ。偽物の薬で症状が改善する「プラシーボ効果」なんてのがあるくらいです。人の気の持ちようはときに大きな力を生みます。
ただし入れかえロープは第三者の認識も入れ替えます。二人のケンカを見ていたスネ夫は「ジャイアンが勝った」と認識しました。
入れかえロープで誰かの立場を借りて成功を収めたって、自分の手柄にはなりません。ただ自分の記憶の中に成功体験として残るだけです。
成功体験は自信につながるから無意味ではないけれど、「自分の立場を人に預ける」というリスクに見合わないリターンでしょう。
入れかえロープで入れ替わっているあいだは、交換相手になりきって行動することになります。普段の自分なら絶対にやりたくないことだって、構わずやってしまうでしょう。
例えば性的接触です。交換相手にとっては好ましいパートナーでも、あなたにとってはおぞましいパートナーかもしれません。
そのときの記憶は、もとの人格に入れ替え直したあとも残り続けます。
交換相手があなたとして振る舞っていることも忘れてはなりません。あなたの恋人と性的接触することだってあるでしょう。
入れかえロープを使う。それはつまり自分を失うことにほかならないのです。
安易に入れかえロープを使えば、あなたも、あなたの大切な人も不幸な目に遭うでしょう。
入れかえロープは人間じゃない生きもの相手でも入れ替えます。
誰かを犬と入れ替えたら、その人は「自分は犬だ」と思い込みます。入れかえロープで入れ替え直すまで、生涯そのままです。
ロープの端を一瞬触らせるだけで、人間性を壊せてしまうのです。
そもそも、どんな組み合わせでも「生来の自分」を失わせるわけだから、入れかえロープで強制的に入れ替えるのは非道です。
ちなみに「人の人生を乗っ取る」という目的を果たすには、社会における究極のIDすなわち「肉体」が要となるので、実際に肉体を交換するトッカエ・バーのほうがあつらえ向きです。
入れかえロープの効力はあくまで思い込みに過ぎません。本来の自我が完全に消失するわけではないからには、必ずどこかで齟齬(そご)が生じます。
「なんの痕跡も残さずに入れかえロープを使う」というのは無理難題です。
真の入れ替えを実現するトッカエ・バーなら、「○○はこうあるべき」という社会規範の無自覚な暴力性を浮かび上がらせて、意識革命を起こせるかもしれません。
一方、入れかえロープときたら、たちの悪いただの洗脳です。これで社会を変えようとしたって、野放図な混迷を招くだけでしょう。
自我を狂わす入れかえロープをみずから使おうとは思えません。入れ替えを渇望している人にとっても、入れかえロープは「コレジャナイ」でしょう。
というわけで、もしもドラえもんのひみつ道具を一つもらえるなら、入れかえロープの優先度は星
つです。