しずかちゃんが卵から育てたブンチョウがよく懐いているのを見て、のび太はとてもうらやましく思いました。それで自分もなにか卵から育てたくなったのび太のためにドラえもんが出してあげたひみつ道具が“台風のたまご”です。
ドラえもんの台風のたまごは、未来の気象学者が研究のために生物化した台風の卵です。この卵を温めると、ほどなくして台風の子供がかえります。
台風の子供はのび太の背丈ほどのつむじ風で、いわゆる「台風の目」に実体化した眼がついています。熱い空気をエサにして育つことと、鳴き声が「フーン、フーン」であることを除けば、習性も知能レベルもイヌとほとんど同じです。
最大風速がおよそ17m/s以上でなければ気象庁は「台風」と認めません(1)。そのため台風の子供もその条件を満たす規模にまで成長すると推測されます。
のび太は台風の子供を「フー子」と名づけました。それに倣って本稿でも以下「フー子」と呼びます。
未来の科学技術をもってすれば、気象現象の研究は造作もないだろうことが、ひみつ道具の数々から見て取れます。それなのに台風をわざわざ生物化して実験動物にするだなんて、マッドサイエンティスト的な発想であり、まさに狂気の沙汰です。
生物化する必然性がないかぎり、研究目的においては有用とはいえません。
ペットとして台風のフー子を飼うにしても、その性質上どうしても周囲へ危害を及ぼしてしまいます。幸せな関係を築くのは困難でしょう。
悪意がないどころか自己犠牲の精神まであるのに周囲を傷つけてしまうフー子は、未来人のエゴから生まれた不幸な人工生命体です。卵のまま眠りにつかせておくのがせめてもの思いやりなのかもしれません。
フー子がつむじ風ほどの規模であるうちは周囲の被害も限定的です。しかしフー子の成長と共に被害もまた大きくなっていきます。1959年に上陸した伊勢湾台風では、じつに4,697人もの死者が出ました(2)。ときに台風はそれだけの牙を剥きます。
通常の台風と違ってフー子は同じエリアに居座るので、大型台風にまで成長した際には、暴風域は壊滅状態となるでしょう。
生まれてまもないフー子でも、走行中のバイクや自転車を転倒させるのに十分な風力があります。しつけたフー子をけしかければ、転倒事故を誘発できるでしょう。
フー子を成長させれば転倒事故はおろか、大規模な災害すら巻き起こせます。しかしフー子はできるかぎり飼い主のそばにいようとします。破壊活動に使えるほどの規模に成長させるなら、「死なばもろとも」の覚悟が要ります。
こちらから一方的に危害を加えられるひみつ道具に比べれば、フー子は悪用に向いていません。
フー子には生体の眼が備わっているため、台風とはいえはっきりと目に見えます。生きものは視線に敏感です。宙に浮く眼球はいやでも人目を集めてしまいます。
同じエリアに居座る台風は常識ではありえないため、フー子が大型台風にまで育った際には、人目ばかりか国際的な注目すら高まる事態になるでしょう。
気象現象である台風を生物化することは、命あるものとないもの、形あるものとないもの、それぞれの境界線を超えるというでたらめに常識外れな仕業です。フー子の存在は、人々の世界の見方に変革をもたらすかもしれません。
ペットをお迎えしたからには最後まで面倒を見る責任が生じます。しかしフー子はイヌでもネコでもない、台風です。現代の社会で飼っていくのは、あまりにも無理があります。
飼えもしないのに台風のフー子をお迎えするのはいただけない選択です。というわけで、もしもドラえもんのひみつ道具を一つもらえるなら、台風のたまごの優先度は星
つです。