のび太が部屋に戻ると、ドラえもんがひみつ道具のメンテナンスをしていました。手にはなにやら珍しいカメラを持っています。のび太がそれで自分の写真を撮ろうとすると、やめたほうが身のためだとドラえもんに拒まれました。
それは“めんくいカメラ”というちょっと不躾(ぶしつけ)なカメラだったのです。
ドラえもんのめんくいカメラは、美しく整った顔の人ばかりを好む、意思をもった面食いのインスタントカメラです。
ルックスのいい人(例えばしずかちゃん)を撮影すると、レンズの目が「ニコッ」と笑って、普通に写真が出てきます。
けれど被写体がめんくいカメラのタイプじゃない人、つまりルックスが標準以下の人(例えばのび太)だった場合は、「ペッ」と吐き出すように写真が出てきて、首から上が透明になって写っていません。
意思をもつ故、カメラのくせに心にもないおべっかとして、標準以下の顔でも写すときもあります。
いったいなんのためにこんなカメラが作られたのか。それはもちろん、優れたルックスを自負する人が自尊心を満たすためでしょう。普通のカメラで済むところをめんくいカメラをわざわざ選ぶだなんて、よっぽどです。
めんくいカメラには写らなさそうな人に「ねえねえ一緒の写真撮ろうよ」とかなんとか言って自撮りして、「ごめーん、あたししか写らなかったー」とかやりそう、というのは偏見でしょうか。
それはともかくとして、顔の美醜を測定するという機能が好奇心をそそるのは確かです。実用性はさておき、一定の娯楽性は期待できます。
めんくいカメラの写真に顔が写らなくて、ショックを受ける危険が考えられます。
けれど仮に写らなかったとしても気に病むほどのことではないはずです。雰囲気美人や雰囲気イケメンという数値を超えた価値観があるほどルックスの良し悪しとは曖昧なものです。あくまでもめんくいカメラの主観に過ぎません。
そう割り切れる自信がないのなら、めんくいカメラで自分の写真を撮るのはやめた方が身のためです。
めんくいカメラには写らない人を、そうと知りながら被写体にするのは嫌がらせになります。けれどもそれはめんくいカメラの存在が周知されている未来の世界での話。我々の暮らす現代では「画像アプリで顔を消された」としか思われないでしょう。
撮影後すぐに写真を現像するインスタント(ポラロイド)カメラも、自動的に特定の画像処理をするアプリも現存しています。
肝となる顔の美醜の判定についても、意思に基づかない、数値化による機械的な判定ならば(その精度はともかく)すでに実現可能です。
そして作中のように意思を表す漫画的演出のない現実では、めんくいカメラが意思をもっていることは見て取れません。
よってめんくいカメラは人前で堂々と使えます。
めんくいカメラの革新性は、意思をもっている(ように思える)点にあります。しかし人工知能が人類を超越する「シンギュラリティ」(1)はそう遠くない未来に訪れると予測されています。
来きたるべき日に向けて我々人類が意識革命の準備をしなければならない時代です。すでにめんくいカメラ程度の人工知能は革命的とまではいえないでしょう。
(1)「シンギュラリティ」とは、本来は「人類の技術的な進化曲線が無限大になる特異点」を意味する言葉です。
多かれ少なかれ、ルックスは人生を左右します。それだけにめんくいカメラは興味を引く半面、嫌悪感を催す人もいるであろう存在です。
なんにせよ「ドラえもんのひみつ道具を一つもらえる」という僥倖(ぎょうこう)の際、わざわざこれを選ぶことはないでしょう。というわけで、めんくいカメラの優先度は星 つです。