ドラえもんのひみつ道具には、“あらかじめ日記”と“必ず実現する予定メモ帳”という、どことなく“デスノート”を連想させるものがあります。
デスノートとは、死神と契約した高校生が主人公の漫画『DEATH NOTE』に登場する、人に死をもたらすノートです。
『ドラえもん』はそんな物騒な漫画じゃない? いやいや『ドラえもん』にも“悪魔のパスポート”や“のろいのカメラ”といった、とても恐ろしい、悪意に満ちたひみつ道具が登場します。
そこで今回は趣向を変えた番外編(当サイトの本題は「もしもひみつ道具を一つもらえるとしたら」です)として、デスノートをもらったらどうなるかを考えます。
死神のデスノートは、人間の死を操るノートです。一見なんの変哲もないキャンパスノートながら恐ろしい力を秘めています。
ジャンプ・コミックス『DEATH NOTE』第1巻「How to use it」より
- このノートに名前を書かれた人間は死ぬ。
- 書く人物の顔が頭に入っていないと効果はない。ゆえに同姓同名の人物に一遍に効果は得られない。
- 名前の後に人間界単位で40秒以内に死因を書くと、その通りになる。
- 死因を書かなければ全てが心臓麻痺となる。
- 死因を書くと更に6分40秒、詳しい死の状況を記載する時間が与えられる。
- 所有者はノートの元の持ち主である死神の姿や声を認知することができる。
- デスノートを持っている限り、自分が死ぬまで元持ち主である死神が憑(つ)いてまわる。
- このノートを使った人間は天国にも地獄にも行けない。
以上がデスノートの基本的なルールです。このほかにも細かなルールや特性をもっているけれど、逐一挙げると解説本が一冊できる勢いなので、ここでは省略します。
本稿は死神リュークのデスノートをもらった場合を想定しています。
以下『DEATH NOTE』のネタバレがあります。
デスノートはただ人を殺すためだけにある存在です。デスノートの是非を論ずるのは、すなわち殺人の是非を問うことにほかなりません。
法にのっとった死刑ですら前時代的とする廃止論が世界的に趨勢(すうせい)です。先進国では例外的に存続論が多数派のここ日本でも、この先に論調が変わっていくかもしれません。
かようにどのような論理を立てても殺人は肯定できない、というのが我々人類の建前です。その建前を掲げる裏で、戦争の名のもとに大量殺人が行われているのだから、リュークが言うところの「やっぱり人間って…面白‼」(1)です。
大義名分さえあれば人は人を殺すことを許します。『DEATH NOTE』の読者の多くは、デスノートを駆使する主人公・夜神月の勝利エンドを望んだはずです。
普段は表に出せない鬱積とした思いを実現してくれるダークヒーロー「キラ」の登場を望む人にとって、デスノートが人の手に渡ることは福音となるでしょう。事実多くの人の心を救うかもしれません。
それでもなおデスノートは認められたものではないでしょう。だからこそ夜神月は少年漫画史上もっともみっともない死にざまを遂げたのです。
(1)ジャンプ・コミックス『DEATH NOTE』第1巻「退屈」より
デスノートの所有者でいる限り、死ぬまで死神に憑きまとわれます。逆にいえば、死神はデスノートの所有者となった人間に憑いていなくてはならないわけです。死神にしてみれば、なんとも面倒な責務です。
リュークはもう一冊自分のデスノートを持っています。つまらないデスノートの使い方をしていると、退屈を嫌うリュークに見限られます。そのときリュークは微塵の躊躇(ちゅうちょ)もなくあなたを殺すでしょう。
ならばその前に所有権を自ら破棄すればいい? そんなこざかしい人間もリュークは殺すかもしれません。
「自分の気に入らない人だけ消して、すぐに所有権を破棄しよう」なんてしみったれた考えでデスノートをもらうのは自殺行為です。
死神がデスノートで人の命を奪うのは、死神の節理に従っているだけで善も悪もありません。しかし人間が使うのは、すべから――もといあまねく悪です。デスノートは人の道理に真っ向から相対します。
死因の指定しだいでは、地獄の苦痛の中で死に至らしめられます。デスノートの悪用性には際限がありません。
きっとリュークは退屈しのぎになったと喜ぶでしょう。デスノートをして悪事に手を染めるのは、死神の手のひらの上で転がされているだけの哀れな選択です。
夜神月は「人を死に至らしめる超常の力」の存在をアピールし、あまつさえ探偵・Lの挑発にまんまと乗って、捜査対象に入ってしまいました。
挑発に乗せられた件はさておき、夜神月が「新世界の神となる」という野望を遂げようとしていたように、大いなる目的のためにデスノートを用いるのなら、その力をアピールするのは必然です。
成し遂げようとする目的の大きさに比例して、身バレするリスクも高くなるわけです。デスノートの力におぼれるがあまり、夜神月と同じ轍を踏むかもしれません。
とはいえ、デスノートとその対象者の死を直接結びつける要素はないのだから、そうやすやすとはバレはしないでしょう。
例外的に問題となるのは、デスノートの所有者となった人間がほかにもいて、「死神の目」を契約していた場合です。
人間の名前と寿命が見える死神の目にも、デスノートの所有者の寿命だけは映りません。死神の目の持ち主にはあなたがデスノートの所有者なのが一目瞭然です。
相手の思想によってはそのまま殺されてしまうでしょう。これは由々しき問題です。
あらゆる指導者の顔と実名がいつでもネットで確認できます。社会秩序は一冊のデスノートでいとも簡単に崩壊させられるでしょう。
しかもデスノートは対象者が死に至るまでの行動を操れます。限られた期間とはいえ権力者を傀儡(かいらい)にできるのだから、現存の社会を破壊するだけではなく、再構築することすら可能でしょう。
しかしそれほどの頭脳の持ち主であるならば、デスノートがなくとも、そして血を流さずとも、世界を変えられるかもしれません。
血塗られた革命は、新たな流血を招きます。夜神月が勝利していたとしても、おそらく彼が思い描いた「清く正しい新世界」は実現しなかったはずです。
家族や恋人をひどい目に遭わされた元○○(特殊部隊兵や殺し屋など、とにかく強い)の主人公が、加害者の悪人どもを片っ端から殺しまくる映画、いわゆる「ナーメテーター」はとても人気のあるジャンルです。
強い処罰感情をもち、「現状の刑罰では生ぬるい」と考えている人が多い証拠でしょう。キラの降臨を現実に待ち望んでいる人もいるはずです。
けれどフィクションで疑似体験して留飲を下げるのと、現実で行動に移すのはまるで意味が違います。人としての矜持(きょうじ)を誇るのなら、デスノートを手に取ってはいけません。
というわけで、デスノートの優先度は星
つです。