連載中に作者がこの世を去ると、ときに「まぼろしの最終回」という都市伝説が生まれます。そういった「最終回」の大半は、作者ではない第三者によって捏造(ねつぞう)された贋作です。
藤子・F・不二雄先生が1996年に逝去されたことで表向き未完に終わった漫画『ドラえもん』もまた、そういった都市伝説が持ち上がりました。
でも、『ドラえもん』はほかと違って、本物の最終回があったのです。
『ドラえもん』が連載されていたのは、学年別に分かれている小学生向け学習雑誌の『小学*年生』でした。自分の学年に合わせて読む巻を変えていくことが前提の雑誌なので、購読する期間は必然的にそれぞれ一年だけとなります。
そこで『ドラえもん』には形式上の最終回が用意されました。いうなれば「卒業回」です。あくまで儀礼的な閉幕ではあるけれど、藤子・F・不二雄先生による真作であり、当時の読者はそれを紛れもない最終回として読んだはずです。
そういった最終回は2作品が描かれました。「ドラえもん未来へ帰る」と「ドラえもんがいなくなっちゃう⁉」です。
夜中に人の気配がしてのび太が目を覚ますと、大勢の人影が壁の中へ消えていくのが見えた。あくる日、そのことをドラえもんに話しても、なぜか上の空で聞いてくれない。
その頃から家の中で不審なことが起こり始める。するとドラえもんが「もしもぼくがいなくなっても、きみひとりで、やっていけるかい?」と言い出して……。
藤子・F・不二雄大全集『ドラえもん』第1巻「ドラえもん未来へ帰る」
なにやら不穏な空気から始まる「ドラえもん未来へ帰る」は、とある事情でドラえもんが未来へ帰らなくてはならなくなる物語です。本作に限らず『ドラえもん』の最終回はすべて「のび太の独り立ち」がテーマになっています。
しかし本作は野比家に起こる騒動にページの大半を割いており、のび太とドラえもんの別離のシーンは駆け足で2ページしかありません。形式上の最終回にしたって、すこし物足りなさを感じるエピソードです。
のび太が帰宅すると、久しぶりにセワシが訪れていた。セワシはのび太に伝えることがあって来たようだが、ドラえもんに「まった! ぼくからあとでいう」と制止されて、なにも言わずに未来へ帰った。
それからドラえもんの様子がおかしくなって……。
藤子・F・不二雄大全集『ドラえもん』第1巻「ドラえもんがいなくなっちゃう⁉」
二つ目の最終回「ドラえもんがいなくなっちゃう⁉」は、「ドラえもん未来へ帰る」から一年後に掲載されました。その一年のあいだに藤子・F・不二雄先生の思い入れが強まったのか、のび太とドラえもんの別離がより感傷的に描かれています。
お互いを必要としているのに離れなければならない二人の葛藤にスポットを当てた最終回です。後述する三つ目の最終回であり、『ドラえもん』屈指の名作でもある「さようならドラえもん」につながる萌芽(ほうが)が垣間見えます。
先の2作品はその性質上てんとう虫コミックスには収録されていなかったものの、長きを経て藤子・F・不二雄大全集で日の目を見ました。
目にするのも難しい「まぼろしの最終回」だったのはもう過去の話。今は『ドラえもん』の歴史の一ページとして、掲載本を簡単に入手できます。
さて、実はてんとう虫コミックスにも最終回は収録されています。しかも形式上の最終回ではなく、本当の完結編として執筆されたエピソード。それが第6巻に収録された「さようなら、ドラえもん」です。
ジャイアンにケンカを売られたのび太がいつものようにドラえもんに泣きつくと、「ひとりでできないけんかならするな!」と突き放されてしまいました。なんとドラえもんは未来へ帰らないといけなくなったと言うのです。
いつしかお互いが掛け替えのない存在になっていた二人は、一緒に過ごせる最後の夜、眠れずに散歩へ出かけました。そこでドラえもんが泣き顔を見せまいとしてのび太から離れたつかのま、のび太に災難が降りかかるが……。
てんとう虫コミックス『ドラえもん』第6巻「さようなら、ドラえもん」
執筆した当初はこれで完結する予定だったものの、藤子・F・不二雄先生が考え直して連載が続くことになったといわれています。結果はどうあれ本当の最終回として描かれただけあって、先の2作品よりもずっと深い情感が込められています。
ドラえもんのために覚悟を決めたのび太の勇ましさに心打たれずにはいられません。人をなにより強くするのは、人を想う気持ちだと、のび太が教えてくれます。
「ぼくだけの力で、きみにかたないと……。ドラえもんが安心して……、帰れないんだ!」
「ドラえもん、きみが帰ったらへやががらんとしちゃったよ。でも……すぐになれると思う。だから………、心配するなよドラえもん」
てんとう虫コミックス『ドラえもん』第6巻「さようなら、ドラえもん」より
コマの一つひとつが、セリフの一つひとつがいとおしい。折に触れて読み返したくなる「さようなら、ドラえもん」は、『ドラえもん』という名作の幕を閉じるにふさわしいマスターピースです。
藤子・F・不二雄先生によって描かれた『ドラえもん』の最終回は以上の3作品です。これらの時間軸はのび太の暮らす「現代」だけど、彼の人生は当然それからも続いていきます。
そもそもセワシがドラえもんを過去へ派遣したのは、のび太(ひいてはその子孫たち)の人生をより良いものにするためでした。その一つの指針となったのが、のび太の結婚相手です。
ジャイ子と結婚するはずだったのび太の未来が、憧れのしずかちゃんと結婚することに変わったとき、野比一族の運命のレールが切り替わるのです。
それはつまり、のび太としずかちゃんが結婚する未来が描かれたエピソードは、『ドラえもん』の約束されたハッピーエンドでもあります。その極めつけが「のび太の結婚前夜」です。
しずかちゃんと出木杉くんが手を握っているのを見たのび太は、やきもちをやいて二人をからかいました。結局『白雪姫』の演劇の稽古だったとわかったものの、のび太はしずかちゃんが出木杉くんと結ばれるのではと不安になりました。
そういってクヨクヨしているのび太を見たドラえもんは、「そんなに心配なら“タイムマシン”で結婚式をみてきたら?」と提案して……。
てんとう虫コミックス『ドラえもん』第25巻「のび太の結婚前夜」
大人になったのび太たちを描く「のび太の結婚前夜」は、その物語もぐっと大人びています。
結婚式を明日に控えた夜、しずかちゃんとその父親が正直な気持ちを語り合います。自身も娘を持つ藤子・F・不二雄先生の愛情が、しずかちゃんの父親をとおしてあふれ出す名作です。
こんな素敵なメッセージを子供に贈れる親になりたいと思わせてくれます。『ドラえもん』の約束されたハッピーエンドとして、非の打ち所がありません。
冒頭で触れたように、『ドラえもん』には都市伝説として広まった贋作の最終回もあります。
初めに広まったのは、「すべては事故に遭って植物人間となったのび太の夢だった」という夢オチです。いかにも子供じみた悪意のある終幕で、藤子・F・不二雄先生ともあろう方がこんな物語を描くはずがありません。
それでもこの都市伝説を信じる人がいたというのだから、噂の伝染力とは本当に怖いものです。
次いで広まったのが有名な「ドラえもんを開発したのは、大人になったのび太だった」という話です。こちらは『ドラえもん』ファンによる二次創作テキストがベースになっているため、物語としてまとまりがあります。
このテキストが無断で転載され広まるうちに都市伝説と化したのです。のちにこれを原案にした映画『ジュブナイル』が制作されたほど求心力のあるテキストだったことも噂がうわさを呼ぶ拍車を掛けました。
決定打は、これを漫画化した同人誌の『最終話』がヒットして、ネットで爆発的に拡散されたことです。拡散される過程でそれが二次創作であることが曖昧になり、真作だと誤解する人が現れるまでに至りました。
権利者が見逃せないまでに問題が大きくなり、同人誌の作者が著作権侵害で警告されたことで現在この都市伝説は収束しています。
あくまで二次創作だと理解したうえで読む分には良作も良作です。藤子・F・不二雄先生の死後に作られたアニメ版オリジナル作品よりも『ドラえもん』愛を感じられるかもしれません。
『ドラえもん』が絶大な人気をまだ得ていなかったころ、「さようなら、ドラえもん」という最終回で一度はその幕が閉じられようとしていました。しかし藤子・F・不二雄先生の慧眼(けいがん)が働いて、連載は継続することになります。
それから人気がうなぎのぼりに高まると、藤子・F・不二雄先生は次なる境地に立たされます。
「『ドラえもん』をやめさせてくれないんだ」と父が憤慨していたのは、いつの頃であったろう。
「SF短編の仕事が来ても断らないといけない。今度、『麻美』も終わりになったんだ」
『ドラえもん』は続いて当たり前というムードがあった頃である。
(中略)
せめていくつか減らしたいと申し入れても、どこもウンと言ってくれないと言う。
いらいらとあぐらを揺すり、父は怒っていた。
『藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版』第7巻「父の持論」
藤子・F・不二雄先生の長女であられる藤本匡実さんによる寄稿です。稼ぎ頭を失いたくない出版社の意向で漫画の連載が引き伸ばされるのはよく聞く話です。『ドラえもん』もまた例外ではなかったのです。
とはいえ、藤子・F・不二雄先生は『ドラえもん』を嫌々描いていたわけではないはずです。
それでは、消防署や町内運動会の手づくりポスターに『ドラえもん』が描いてあるのは幸せな事なのね、と問うと、
「光栄だ」
とうなずいていた。
作家としての晩年には、『ドラえもん』にこだわり続けた父である。
『藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版』第7巻「父の持論」
ついに『ドラえもん』は国民的な作品となりました。漫画家としてこの上ない喜びだったことでしょう。藤子・F・不二雄先生にとってもこだわりつづけるべき格別な存在になったようです。
ところが藤子・F・不二雄先生は体調を崩され、精力的な創作活動ができなくなったまま、1996年9月23日に62歳という早すぎる死を迎えました。
かくして紆余曲折を経て『ドラえもん』は未完に終わります。最終回が実在しているとはいえ、藤子・F・不二雄先生がその判断を覆したからには、未完の作品であることに変わりはありません。
未完だからこそ「のび太とドラえもんの終わらない日常」が次の世代、そしてまた次の世代へと読み継がれていくのです。『ドラえもん』が未完であることを嘆く理由はなに一つないのです。